教えて掲示板の質問

「ふとした時に早く死にたいなと思う」に関する質問

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りゅりゅさん

自分は生きることに対して前向きになれません。


 いじめられたことなどなく、それなりに仲良くしてくれる友達もいましたが、
小学生の時に死のうと思い包丁で手首を切ろうとしたことがあります
(痛いのが嫌で切りませんでした。
この後も、死にたいと思っても実行に移したことはありません。)
 中学生の頃は周りの人達の嫌なところばかり目について、
こんな人達と一緒にいたくないと言う思いで必死に勉強しました。
当時から傲慢な性格でした。
 高校に入ると、周りが能力的にも精神的にも優れた人間ばかりで
己の矮小さを思い知らされ、恥ずかしくなりました。
部活動には入らず、放課後に友達とだべって楽しかったことは楽しかったのですが、
土日など家に1人でいると何を頑張ればいいのかわからず
無気力に無意味に時間を過ごす日々できつかったです。
 大学ではサークルが楽しくそこまで病むことはありませんでしたが、
就活の段階で滅入ってしまい大学の相談室のようなところを訪れ初めて薬をもらいました。
その時からこのまま生きていてもしょうがないから早く死ん
だ方が楽しいのではないかと思うようになりました。
 社会人になって世間的に言えばホワイトな職場に入りましたが、
日本人なのに日本語が通じない人やただ話を聞いてほしいが
ために関係ない話を永遠にする人の相手をすることに疲れたり、
興味のないこと・社会的には意味はあるが自分は価値を
見いだせないことをこれから定年までやらねばならないのかと感じたり、
上司からあまり教わることができず同期との差が開いて落ち込んでしまい、
今年の1月後半から2、3週間ほど食べる気がせず
(普段は食べることが大好き)食事の量が少なくなったり、
寝ても3時くらいに目が覚めて寝れない日々が続いたりしました。
業務負荷としてきつい訳では決してなく、
むしろほとんど事務作業のようにやるだけ、上司や先輩か
らパワハラなどもない、快適な環境のはずなのに、
仕事場へ向かい足がなん度も止まりそうになり仕事中も人知れず
泣いてしまったり感情のコントロールができない状態でした。
 今はそこまで酷い状態ではないですが、
小さい頃から別にきつい環境にいる訳でもないのに(寧ろ恵まれた環境)死にたいなと思うことが慢性的にあります。こんなメンタルの弱さで仕事をしていけると思いませんし、
仮にできたとしても年収はかなり低くなると思います。お金がないならすぐ死にたいと思うのです。

自分で言うのもなんですが、高学歴の部類に入る高校・大学を出て、
彼氏もいて、社会人として仕事をしていて仕事場にいる上司もわ
からないことを聞けば教えてくれる等環境に恵まれていると思います。
ただ、何か嫌なことがあったり将来の不安があると直ぐに死にたいと思ってしまいます。
甘えであることは承知していますが、
気分が落ち込むと直ぐに人生そのものが嫌になります。
いっそのこと期限を決めて死ぬまでのロードマップみたい
なものを作って過ごす方がお金の不安から解放され、
それまでに必要なお金を最低限貯めれば後はなんでもしていいし、
やりたくないことはやらず、死ぬその日まで生き生きと過ごせそうだなと思います。

漠然と自分の性格上早く死んだ方がそれまでの人生を楽しく生きられるんじゃないかと思います。

長々と書いてしまいましたが、励まされたい訳でも
生きていればいいことがあると言われたいわけでもありません。
(生きていればいいことはあるでしょうが、
頻度的には数少ない楽しさのために日々心を殺して生きていくことに価値を見出せません。)
何故、皆さんは嫌なことがあっても乗り越えよう、
前向きに生きようと人生に前向きでいられるのでしょうか?
私みたいな甘えた人間は自分のためにも早く死んだほうが
楽になれるのではないかと思いますが、どうお考えになりますか?

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2023年3月9日 23時37分

教えて掲示板の回答

カウンセリングルーム ふうりん堂

ベストアンサー

りゅりゅさん、こんにちは。カウンセリングルームふうりん堂です。

何故、嫌なことがあっても、それを乗り越え、前向きに生きていこうとするのか・・・。
私の場合は、嫌な状態にずっといるのは辛いから、自分が生き生きとできて、かつ役に立てた!という感触がもてる場を探し続けているということが、結果的に前向きになって動いているということになっているのかなと思います。もちろん、いろいろ大変ですけどね。笑

さて、りゅりゅさんについてですが、文章を拝見したところ、少し「優等生的なポジションに居続けるために他者に差をつけ、自分より劣るとみた人に引きずられないよう距離をとる」ということに意識が向き過ぎてしまっているのかなと感じました。それは、いい高校・大学に進み、ホワイトな企業に就職する競争を勝ち抜く上では、とても役に立ったことでしょう。それは、優等生の人が「たどるべきコース」として、いつの間にかインプットされたコースを歩むには必要なことだったのかもしれません。

ただ、就職という学生にとってのゴールテープを切ってみて、「ここが定年までいなければいけない目的地?」という違和感を感じたのかもしれませんね。

もしかすると、これまでは無意識に「人から羨ましがられるレベルの大学・企業」という基準でモノゴトを考えていたのかもしれません。その基準で競争に勝つことは、その瞬間は大きな喜びを得られますが、それは必ずしもりゅりゅさん個人の充実感をもたらすものと合致するとは限りません。

今、りゅりゅさんは、他人との競争基準ではなく、「自分基準で生き方を選択する」新たなスタートラインに立っているのかなと思います。

大学のサークル活動が楽しかったと書かれているので、その辺にりゅりゅさんが生き生きと活動できるエッセンスがあるかもしれませんね。自分自身の興味関心について、少し深掘りしてみるといいかもしれませんよ。

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2023年3月10日 10時59分


お礼コメント

回答ありがとうございます。ふうりん堂様の「結果的に前向きになって動いている」とのこと、大変なことがあっても逃げずに向き合う姿勢を見習いたいです、、自分は嫌な状態になった時に逃げる選択肢を考えてしまうように思いますので、、回答いただいた「優等生的なポジション〜」の文言、ズバリ自分のことを言い当てられた感覚です笑
もやもやした自分への理解が少し明確になりました。ありがとうございます。
周りより優秀でありたい、認められたい、という気持ちがあるけれど実際の能力とのギャップにいつも苦しんでいたように思います。「自分基準で生き方を選択する」これからゆっくり考えていこうと思います。

2023年3月10日 20時23分

追加コメント

お礼コメント、ありがとうございます。
「笑」の文字を見て安心しました(笑)。そのぐらい自分を客観視できる心のゆとりがあれば大丈夫!
人に認められることは、何も人より優秀である必要はないですよ。その人らしい「役立ち」ができればいいんです。これまで自分の至らないところに目を向けて自分を伸ばしてきたと思いますが、これからは、自分の好きなことで得意なことにも目を向けて、そこを伸ばすといいかもしれませんね。あせらずゆっくり進んでくださいね。

2023年3月11日 10時26分

心のオアシス ~Freedom~

りゅりゅさん、はじめまして。
カウンセラーの海と申します。

ご相談にいらっしゃって、ありがとうございます。
「生きることに前向きになれない」とお悩みなんですね。

前向きになれないことは悪いことではないと思います。
人の価値観は一人一人違います。

私自身も「早く死んでしまいたい」と考えてしまう時はあります。
全ての人が前向きになり乗り越えられるわけではないと私は思います。

りゅりゅさんの想いを誰かに吐露してみる…そうすることで軽くなる時もあると思います。


当事業所は、最寄りの警察や弁護士の先生がたとも連携させて頂きながら業務に携わっております。

お問い合わせいただけましたら、
初回は30分、通話料無料【ライン通話。もしくはビデオ通話】でお話を聴かせていただきますね!

秘密厳守で対応致しますので、安心してご相談いただけると幸いです。

日常生活での問題は、コロナ禍でさらに増加して、お悩みの方が多くいらっしゃると思います。

些細な事でも大丈夫ですので、お一人で抱え込まず、私共が何かしらお役に立てるのでありましたら、いつでもご連絡下さいね。

下記のメール/ホームページのお問い合わせより、ご連絡ください。お待ちしております。

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2023年3月23日 09時48分


カウンセリングルーム サイレント

りゅりゅさん。初めまして。アダルトチルドレン、HSP専門カウンセラー沖野と申します。
末尾のご質問に考えさせられました。
「なぜ、嫌なことがあっても前向きになれるのか。」その質問の答えは「わからない」ということです。
それは、人が前向きに頑張っているというのも、乗り越えようとしているというのも、他者からの解釈であり 本人の気持ちはどう思っているのかわからないという意味でです。
会社の方も、りゅりゅさんが、「死んで楽になりたい。拒食や睡眠不足になるほど悩んでいる。価値のない仕事をしているより、マップロードのようなものを作っているほうが生き生きと過ごせそう。」と考えていることを 疑ってもいないように 人は皆いろんな思いを抱えて生きています。
自己肯定と言う言葉は今や主流になっていると思いますが、りゅりゅさんの「死にたい」という気持ちは、自身の価値を見出せないことに対する防衛反応だと考えてみると合点がいきませんか。
置かれた環境の中に 存在価値を感じられないこと。これから先の 未来について 自分の存在意義がないこと。
満たされない空虚感が、りゅりゅさんの自己肯定感を下げているのだとしたら?
りゅりゅさんは とても知的でご自身を客観的に見る事が出来ていると感じました。
恵まれた環境にある事、高い志を持って努力を積まれてきたこと。それらをとっても、なぜここまで空虚な思いにさいなまれるのか。現状に満たされていない。描いていた未来とのギャップ。それらが、肯定を妨げる要因になっていると思いませんか。
視点を変えてみましょう。りゅりゅさん。今あるものに対する認識を 少し深めてみてはいかかですか。
今りゅりゅさんが持っているものは ほかの人にはないものばかりではないでしょうか
自分の状況を受け入れ、過去や未来ではなく「今」を見て、非難するのではなく、今ここにいるりゅりゅさんのありのままを受容する。
生きる価値を見出せないときに 人は鬱になります。生きていく中で 真剣に向き合えばこそ 立ちはだかる課題ではないかと 私は思っています。
人間という生物は やがて死にます。死に向かい カウントダウンしていく生き方。
残り時間を どう生きるかを 模索しながら 有意義に過ごす生き方。
どんなに幸せでも 心に満たされものを抱えて生きることは 苦しいことだと思います。
りゅりゅさん。「楽しい人生とは?」その定義によっては 新しい楽しみ方を見つけられるのではないですか。
漠然とした「楽しそうなもの」から「楽しい」とりゅりゅさんの心を躍らせるものは何でしょうか。
しっかりとした指針があれば 探し続ける迷路から どこに向かうかを定めた目的に 変わるのではないかと思います。
私は常々思うのですが、幸せとは探すもの。ではないと思うのです。探して見つけたとしても 気づかない人、見つけても満たされない人。いろんな形があることは否めませんが、どう感じるかは自由であり、無限であり、何よりも 本当に
自分だけの価値観だと思うんです。
生きることに受動的であることも 能動的であることも 然りです。
一度しかない 誰のものでもない人生だからこそ 「生きること」には価値があるのだと思っています。
楽しい人生とは。即答できますか。

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2023年3月11日 09時07分


ファミリーカウンセリング高尾

りゅりゅ 様

こんにちは、はじめまして
臨床心理士の米田と申します。
よろしければ、私の方でも承れます。「りゅりゅ」様と申し出ていただければ、メール、LINEでのご利用を無料で承ります。
お申し込み・お問い合わせは、以下のリンク先または店舗ホームページから承れます。

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2023年3月10日 20時39分


心理カウンセリング らしんばん座

りゅりゅさん、こんにちは。
カウンセリングルーム「らしんばん座」と、申します。

ふとしたときに、早く死にたいと思ってしまうのですね。

>今年の1月後半から2、3週間ほど食べる気がせず(中略)寝ても3時くらいに目が覚めて寝れない日々が続いたりしました。
まず、はっきりとした症状があるのでしたら、お医者さんに相談した方が良いと思います。
もしかしたら、りゅりゅさんの、この「死にたい」という気持ちは、うつが原因で引き起こしているものかも知れませんので。

特に問題もなさそうな、むしろ恵まれている環境にいながら、何故か死にたいと思ってしまうのですね。

>痛いのが嫌で切りませんでした。
そうですね、この感覚が「正しい」のだと思います。
いくら気持ちの上では死にたいと思っていても、いざ実行に移すことは出来ない、「死ぬことは怖い」と思ってしまうということは、本能的に「死にたくない」と思っている証拠です。
つまり、りゅりゅさんの「死にたい」は、むしろ「現状から逃れたい」という気持ちの表れなのだと思います。

ご相談の文面を拝見して感じることは、「りゅりゅさんは、これまでずーっと頑張ってきたのだろうな」ということです。
上の学校を目指して必死で勉強して、就活でも頑張って、世間的には恵まれた職場に入ることが出来て・・・。
人生とは、このように「際限なく頑張るもの」という意識が、りゅりゅさんに植え付けられているのだと思います。

でも、際限なく頑張るって、とてもしんどいですよね。
でもこれが「生きる」ためのスタンダードになっているのなら・・・。こんな人生からは、早く降りてしまって「楽」になりたいと思ってしまうはずです。
つまりこの、「人生から降りる」ことが、イコール「死ぬ」ことなので、「死にたい」と思ってしまうのだと思います。

りゅりゅさんにとって「人生」とは、「全速力で自転車をこぎ続けないと下がってしまう、坂道のようなもの」なのでしょうか?
しかし、際限なく自分に緊張を強いていても、すぐに疲れてしまいます。時には、力を抜くことも大切です。

おそらくりゅりゅさんは、完璧主義なのだと思います。
すべてを「完璧に成し遂げる」か、「何もやらない」かの二者択一思考になっているのだと思います。

そうではなくて、頑張っているときでも、息抜きをする、遊ぶ瞬間というものがあっても良いと思います。
つまり、もっと楽しんでも良いと思います。

それこそ、休みから仕事に移るまでのロードマップを作って、休んでいる間は仕事の不安から解放されて、生き生きと過ごすような考え方で良いと思います。

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2023年3月10日 19時40分


お礼コメント

回答ありがとうございます。「際限なく頑張るもの」だと思っていました。。そうでなければ自分は満足しないし快適に暮らせないと思っていたからです。でももう頑張れないことにも気づきました。二者択一的思考に陥っていることをご指摘いただいて、確かにそうだなと思いました。楽な仕事を選べばお金を稼げず路頭に迷って精神的に病んでしまうかも知れないと本気で思っています。実際お金は稼ぐ必要があるのであまりに少ない収入だと本当に路頭に迷う可能性はありますが、ちょっと極端ですかね、、「頑張っている時でも息抜きをする、遊ぶ瞬間があってもいい」との考えを実践してみようと思います。ありがとうございます。

2023年3月10日 21時13分

カウンセリングルーム yasuko ママ

初めまして、カウンセリングルームやすこママと申します。宜しくお願い致します。
相談内容を拝見致しました。りゅうりゅうさんが生きて行く事に意味を見い出せ無くて、苦しん
で居られるのが、良く解りました。確かに、生きて行くのは、大変ですし嫌な事や苦しい事、辛い事の方が、嬉しい事や楽しい事よりも多いと感じている人は多く、大半の人は、人生とはそんな
ものだとの思いながら日々を過ごしています。でも、そんな中でも人は必至で生きて行こうとするのは、死ぬ事は怖いですし、生き続けたいと思う気持ちが強いから、皆、必至にもがきながら
でも、生き続けているのです。死を選ぶ事が、楽な方法でしょうか?? 辛さや悲しみから開放され
る様に思うのは、ただ、現実逃避したいだけでは有りませんか。人間として生まれてこれた事は、
実は奇跡に近い幸運ですよ。生まれてこれた事に感謝が出来れば、色んな事が有ったとしても
乗り越えて行こうとする努力をしますし、命が続く限り生き続ける事をやめません。りゅうりゅうさんが、生まれて来た事に感謝をする事は、自分自身を大切にする事では無いでしょうか。
恵まれた環境や、様々な事に感謝の気持ちを持つ事が出来る様になれば、りゅうりゅうさんの
思いも考え方も変わってくるのでは無いでしょうか⁈ 

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2023年3月10日 16時59分


お礼コメント

回答ありがとうございます。大半の人がそんなものだと思いながら生きているのが私にとっては不思議でなりませんでしたので、今回このような相談をさせて頂いた次第でございます。仰ってくださっているように、私は現実逃避したいだけだと思います!生まれたことへの感謝、様々なことに対する感謝、なかなかすることが難しいです、、ごめんなさい、、でもできるだけやってみようと思います。ありがとうございます。

2023年3月10日 21時05分

KNJオンライン心の塾

りゅりゅさん

初めましてKNJオンライン心の塾 大山桃子と申します。
拝見させていただきました。


『中学生の頃は周りの人達の嫌なところばかり目について』
具体的にどのような事でしょうか?

『何を頑張ればいいのかわからず』

『日本人なのに日本語が通じない人やただ話を聞いてほしいが
ために関係ない話を永遠にする人の相手をすることに疲れたり、
興味のないこと・社会的には意味はあるが自分は価値を
見いだせないことをこれから定年までやらねばならないのかと感じたり』

『メンタルの弱さ
甘えであることは承知しています』

この文面から見て取れるのは

比較競争 常識 良い子 優等生 他人軸 ロボットというような言葉が浮かんできます。

私の想像するところ
りゅりゅさんは幼いころからいい子で 例えば親の言う通りに従ってきたのではないかと思います。

そのため 『私』は『○○したい』 『私』は『○○したくない』というような思いがあってもそれを押し殺してきたのではないでしょうか

親や大人からしたら『いい子』なのですが
そこに一生懸命頑張りすぎて自分の望みがわからなくなっているように思います。

『私の望みは何一つ叶わない』というような『思い』が充満していると
生きていても仕方ない となっても無理はないと思います。

自分自身にこれまでに禁止してきたことを許していく必要があると思います。
『甘えているの』ではなく『一切甘えさせてない』のかもしれません。

それは誰かではなく『私』が『私』を一切甘やかさない状態ということです。

そのせいで もう望みが何なのかさえわからなくなって『死んだ方が楽』という考えになっていると思います。

外側に合わせた人生ではなく 『私』に合わせた人生に変える必要があると思います。

りゅりゅさん もしも何の制限も無かったとしたら何をしたいですか?
『どうなったらいい?』『今どうしたい?』という質問を自分にしてみてください。

皆が何をどう思うのかはそれぞれです。

りゅりゅさんの人生において重要なのはりゅりゅさんの『思い』『望み』です。

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2023年3月10日 15時11分


お礼コメント

回答ありがとうございます。中学生の時に嫌だなと感じたのは、いつでも一緒にいたり(わざわざ毎回お手洗いに一緒にいく意味ある?と思っていました)、会話の中で自分なら配慮して言わない言葉を言われた時などです(プライドが高かったのだと思います。)
「私が私を一切甘やかさない状態」かも知れません。なんだか大山様の文章をみて安心したのか泣いてしまいました。
何の制限もなかったら何がしたいか、どうなればいいのか、については、好きな人と一緒に暮らしたい、くらいしか思いつきませんでした笑
仕事でしてみたいことや、人のために自分がしたいこと、はまだ分かりませんでしたので、これから考えて見つけていこうと思いま

2023年3月10日 21時02分

クラリオンヒーリング(気功・整体)

りゅりゅさん、初めまして。お悩みの件、拝見いたしました。

まず生きていて様々な事に、疑問を持つことは当然の事です。それを解決、あるいは理解する事で成長していきます。

嫌な事があってもなぜ前向きになって生きられるのか?の質問について
そもそも、生きていて楽しく感じられることと、嫌に感じる事がなぜあるのか、について説明します。食べ物で説明すると料理には美味しいと不味いがありますが、仮に生まれてから今まで美味しいものしか食べていないと不味いという食べ物がどの様なものなのか、理解できません。これは、料理=美味しいという概念が作られてしまうからです。

楽しいという概念も同様で、嫌な事があるから感じられることなのです。

この比較しその本質を理解するという概念を別のケースで説明しますと、150年以前の人達は時間に関する概念が、現代人とは全く異なります。例えば鉄道や自動車が無かった時代、100キロ位離れた所に徒歩で移動する場合不便さを感じません。現代は、当たり前のように交通移動手段が整っていますが、昔の人達はせいぜい徒歩が馬で移動する事が出来なかった為便利さという概念がないのです。

嫌な事は、色々なケースがありますが、困難に感じる事に打ち勝つ方法を学んでいく事に成長を感じるので前向きに生きようと考えます。これは、人間関係においても同様です。

早く死ねば楽になれるかと思うについての質問について
そもそも、死後の世界を明確に語れる人は、この世に存在しません。生き返ってこの世で生きている人がいないので、当然なのですが、早く死ねば楽になれると思っているのであれば、残念ながら幻想に過ぎません。りゅりゅさんが、今感じている事は環境を変えれば何かかわるのではないかと思っているのと同じです。その良い例が転職なのですが、別の環境になれば何か好転するのではないかと思い込んでいるのと同じ事なのです。もし転職しても同じように感じているのであれば、結局自分が成長しないとなにも変わらないということなのです。

何かご質問があれば、連絡いただければ幸いです。

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2023年3月10日 15時02分


お礼コメント

回答ありがとうございます。「困難に感じることに打ち勝つ方法を学んでいくことに成長を感じる」(=楽しさを感じる?ということでしょうか?間違っていたらすみません。今感じていることは環境を変えれば変わると思っている節が確かにあります。ただ環境を変えることで自信も周りの環境に合わせて変える気持ちが芽生えるのではないかと思ってしまいます。自分を成長させるために環境を変える、ことは違うのかなと思っていますが、結局今いるところで自分を成長させないと、自分を変えることはできないのでしょうか?

2023年3月10日 20時51分

追加コメント

スポーツの世界で、環境を変え能力を伸ばす事例があります。指導者や上司は、何とか成長してもらいたいために自分の為に手を尽くしてくれる方もいるからです。つまり、より良い人間関係を創る事が人生において重要となってきます。

あと、生き方に正解は無いと思った方が良いと思います。(逆にこのような生き方をしたら不幸になるという考え方はあります)世界で起きている事を観察すると、国籍や人種が変わる事で、生きる事自体に制限が設けられています。日本に生まれただけでも、かなり幸運だと考えた方が良いと思います。

どんな人間になりたいのか、自分の理想の人間像を追い続けることが人生において重要な事と考えています。

2023年3月12日 17時31分

オンラインカウンセリング惠然庵

りゅりゅさん

こんにちは。
「オンラインカウンセリング惠然庵」の西岡と申します。
ご質問内容、拝見しました。

何か答えが欲しいというよりも、他の人はどうなのかな?と思っての投稿のようですので、
あまり専門家的な回答ではなくなるかもしれませんが、思ったことを書かせていただきますね。

繰り返し書いていらっしゃるように、りゅりゅさんのこれまでの環境は比較的恵まれてきた感じですよね。
「死にたい」と思うけれど、自分でもその理由が分からない。
思い当たる分かりやすい事件や体験が無い。
でも時々「死にたい」って考えてしまう。
それはもしかしたら自分が甘えているから?と思ってしまっている。

人間が難しいのは、刺激だらけでも疲れてしまうけれど、何も無ければそれはそれで物足りなく感じてしまうところでしょう。

自分で対処できるギリギリくらいのハードルは、乗り越えた後は達成感と自分の成長を感じることが出来ます。
でも乗り越えてる真っ最中は、しんどくて「もうヤダ止めたい」と思うことの繰り返しです。頑張ったからといって乗り越えられる確証もない。

だから、いじめとか家庭不和とか貧困とかブラック企業とか友だちがいないとか、そういう明確な問題が無い自分は「幸せなのだ」と考える。
しかし、「平安」と「幸せ」は違いますよね。

りゅりゅさんは、生きていく上での何か「手ごたえ」とか「自分なりの生きがい・やりがい」みたいなものが見えなくて、
毎日の生活に意味を感じられずにいるような感じがしました。

上述したような「明確な問題」は、乗り越えた後は人生の節目になります。
その節目を自分で実感出来ていないことが、今のりゅりゅさんの辛さなのかもしれません。

イヤなことがあった時に「乗り越えよう」と思えるのは、乗り越えた先に自分なりの目標やご褒美があるときです。
何も無いとしたら、それは正真正銘、ただの「いやなこと」なので、乗り越えようという気力がわいてこないのは当然です。

例えばご質問内容に書かれたように
>いっそのこと期限を決めて死ぬまでのロードマップみたいなものを作って過ごす
のをやってみるのもアリなのかもしれません。
ご家族と同居しているなら、一人暮らししてみるのもいいかもしれませんね。
そこからまた違う方向や世界が見えてくるかもしれません。
(※一カウンセラーとして、死ぬ選択は止めたいです)

結構みんな、毎日やりがいに満ちて生きているわけではありません。
とりあえず前の前にやらなきゃいけないことがあるから、それをこなそう、としながら、
毎日を繰り返しているのではないでしょうか。

私でよろしければお話伺いますので、ご相談くださいね。

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2023年3月10日 13時28分


お礼コメント

回答ありがとうございます。「生きていく上での「手応え、生きがい、やりがい」が見えず生活に意味を感じない」まさにその通りです。趣味を見つけてみたら?と言われることも多いですが、1人でのめり込めるようなものはなく、結局人と楽しく過ごすのが自分にとっての趣味みたいなものなのかと思い始めています。でもきっとそれだけでも自分は納得せず、やっぱり趣味ではなく「生きがい」を求めているのだと思いました。ありがとうございます。

2023年3月10日 20時44分

カウンセリング&ヒーリングスクール シャインハート

リュリュさんこんにちは。
シャインハート代表カウンセラー岩城と申します。
内容を拝見した感想では、りゅりゅさんは自分自身を認めると言う事が苦手な様に感じました。また、純粋、誠実、完璧そんな言葉が浮かびました。
世の中は自分より要領のいい人や実力がある人もいるかと思います。
結果を出せる人と出せない人、結果を出せる事が意味があり、結果を出せないのは意味が無い、、。そんな風な考えはないでしょうか?自分自身が結果を出せない場合でもそれを認めて、それも自分だし、そんな自分でも社会に貢献出来たり、周りと協力したり、誰かを助けてる。そんな風に思ってみると生きる意味が見つかるかもしれないですね。
完璧なスーパーマンより、弱点のある主人公の方が愛らしく思えるものです。
アニメの主人公は大抵弱点があります。アンパンマン→水に弱い。ドラえもん→ネズミが嫌い。ウルトラマン→3分しか地球に居られない。などなどです。
自分を愛する事は自分を許す事です。自分自身の行動と結果を許す事が大切だと考えます。
ありのままの自分に価値を認められたらどう死ぬのかでは無く、どう生きるのかに考え方が変わるかもしれませんね。
他の人たちも少なからず、無気力、無意味、無関心、不安になる事は有ります。その度に開き直って『コレが自分だどうにかなる』と、自分に言い聞かせて次に進んでいます。人は誰しもコレを繰り返して人生が終わるまで『どう生きるのか?』を模索しています。自分の生きる意味、自分の価値を探す事が生きると言うことではないのでしょうか。
自分自身の行動と結果を認めて許してあげてみてください。それできっと変わります。

カウンセリング&ヒーリングスクールシャインハート 代表岩城貴敦

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2023年3月10日 13時21分


お礼コメント

回答ありがとうございます。仰っている通り、昔から自分を認めることが苦手でした。もっと上に追いつかなきゃ、今の自分ではダメだ、と鞭を打ってやってきたけれどそれに疲れてしまったのが今だと思います。「コレが自分だ、どうにかなる」との思考法(?)、試してみようと思います。ありがとうございます。

2023年3月10日 20時39分

追加コメント

どんな自分でも大丈夫。そう思えたら人生は面白くなる。だから、『こんな自分でも大丈夫かも?』かも?ってつけて考えたら心に入れやすいですよ。

2023年3月10日 21時44分

S.Light.M

こんにちは、S.Light.Mの瀬川と申します。

ご相談内容を拝見させて頂きました。

自殺を肯定する意味でもありませんし、そのような事は立場上!?からも出来ませんが、りゅりゅさんの仰っている感じは何となく分かるような面もあります。

おそらく多くの方が『何故、皆さんは嫌なことがあっても乗り越えよう、前向きに生きようと人生に前向きでいられるのでしょうか?』と問われた時に、素の(自分に嘘をつかない)自分として答えられないケースがほとんどであると思います。

表現は不適切かもしれませんが「騙すよりは騙される方が良い、、、でも、本当にそのような事を素直に受け入れられるだろうか???」のような感じかもしれません。

勿論、ここでどのような考えや意見が出ても、どれが正解でどれが間違いであるかなどの判断も出来ない性質のものでもあります。

そして、りゅりゅさんの心境を私なりの勝手な推察と、私なりの変な表現を用いれば、誘われたから温泉に入ってるけど、そのお湯は熱くもなく、かと言ってぬるい訳でもなく、それなりには入っていられるし、入っていれば気持ちよさも分かるけれど、やはり自分から進んで入りたいと思った訳でもなく、ましてやどこかが痛くてそれを治そうなどの動機もなく、お風呂上がりの食事やお酒が楽しみという訳でもなく、ただ、誘われたから何となく温泉に浸かっている、、、そのようなイメージが、現在のりゅりゅさんの心境のように私なりに感じた次第です。

そして、りゅりゅさんにおかれましては『期限を決めて死ぬまでのロードマップみたいなもの』とのお言葉もありましたが、おそらくですが、死ぬまで何もせずに過ごせるだけのお金があったとしても、今の心境における変化はさほどないかもしれないという事にも既に気づいておられるようにも感じました。

と、このように変な表現を用いたついでと言っては何ですが、また、頭のオカシイ人と思われるかもしれませんが、私自身の事を少し独り言のようにお話してみます。

小学生の頃に親に怒られると「死んでやる!そうすれば悲しい気持ちにさせられるだろう!」みたいな事をよく思っていた時期がありました。
勿論、深い考えがある訳でもなく、実際にそのような事は出来ないし、する(勇)気もないし、その方法すら知らないというお子ちゃまの考えです。

そして、ある時、自分が死ぬ夢を見ましたが、その時から逆に死ぬのが怖くなってしまいました。

当然と言えば当然ですが、そのような小学生の頃に自分が本当に死ぬなんて事は考えもつかなかったです。

そして、高校生の時にある病気でプチ・臨死体験!?のようなものをしましたが、だからと言ってそれで人生観が変わったなどもなく、それまで通り何となく!?生き続けていました。

そして、30代の中盤頃かと思いますが、電車に乗っていて突然自分が死ぬのでは!?と急に思い始めましたが、その時は分かりませんでしたが、いわゆるプチ・パニック障害のようなものだったのでしょう。

ただ、先程の小学生の頃の夢以来、死ぬのが怖くなっていましたので、色々な書籍に触れたりなどをしていましたが、その時に先程のプチ・臨死体験!?を改めて想い出しました。

そして、その頃から、今ではスピリチュアル(なお、巷の多くのスピリチュアルと称されるものの中には偽物や嘘も多いです)というもの(考えや視点)になるのかもしれませんが、仮にあの世や魂というものがあるとすれば、あくまで私個人としては《 あの世での生活を楽しいものにする為に今(この世)を生きていこう 》との思いの元で生き続けているのが本音(本心)です。

勿論、だからと言って今の日々の生活が無機質や無感動という事でも全くなく、喜びや楽しさもあれば、悲しみや落ち込みや憤慨などの喜怒哀楽も当然に自然に感じながら過ごしております。

そしてこれが先程の『何故、皆さんは嫌なことがあっても乗り越えよう、前向きに生きようと人生に前向きでいられるのでしょうか?』との私なりの答え(応え)になります。

改めて私は頭のオカシイ人と思われるかもしれませんよね(笑)

ただ、これもりゅりゅさんの仰っております『早く死んだ方が楽しいのではないか』とのお言葉に私の何かが感応した感も受けた事から、取り留めも無い、何を伝えたいのかもよく分からないお返事のようなものになりましたが、「形あるものいつかは崩れる」ではありませんが、《常に一定で変わらないものなど何もない》という事もあり、その《ベクトルをどの方向に傾けるか》は誰もが自分自身に委ねられております。

まずは、想像であったり、時に実現不可能!?と思われる妄想のようなものでも何でも構いませんので、《ベクトルを向けられる方向性を今よりも増やしていく》という事を試されてみては如何でしょうか。

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2023年3月10日 12時48分


お礼コメント

回答ありがとうございます。「温泉」の例え、とても面白く拝見させていただきました。また、瀬川様の実体験も興味深く、〈ベクトルをどの方向に傾けるか〉は大事だなと思いました。ちなみに私は“推し”にのめり込んでいる時だけは元気です笑
ご自身のことも踏まえてここに丁寧に書き記してくださりありがとうございました。

2023年3月10日 20時36分

アトリエ♡kokoro

りゅりゅさん。初めまして。アトリエ♡kokoroの佐藤と申します。

ご相談を読ませていただき、りゅりゅさんの苦しさは、「生きていればいいことはあるでしょうが、頻度的には数少ない楽しさのために日々心を殺して生きていくことに価値を見出せません。」というお言葉につまっているような気がいたしました。
ただこのような考えに至ってしまうのは、今はりゅりゅさんの心が健康ではないのかもしれません。

私は公認心理師ですので、もちろん診断はできませんが、りゅりゅさんの社会人になってからのお話、また1月後半からの食事や睡眠のお話、感情のコントロールが難しいご様子から適応障害をおこしているのかもしれないと心配をしております。社会生活に支障をお感じになっているのであれば、やはり受診をすすめます。今はゆっくりと休養をとることが、あなたの心身を守るうえで一番だと思います。睡眠をしっかりとること、栄養をしっかりとることが心身の回復へとつながっていきます。

しかし、りゅりゅさんはもしかしたら休職をするということに強い抵抗感を覚えるかもしれません。これまでの環境に不満があるわけでもなく・・・周囲からパワハラを受けているわけでもなく・・・・こんなことで休職をしてもよいのだろうか、私のメンタルが弱いがために・・・と自身を責めることはしないでくださいね。
「何か嫌なことがあったり将来の不安があると直ぐに死にたいと思ってしまいます。甘えであることは承知しています。」とおっしゃていますが、甘えではないですよ。今のあなたの健康ではない心があなたにそう思わせているのです。

やりたくないことはやらず、死ぬその日まで生き生きと過ごしたい。私も同感です。私もこんなふうに生きたい。
しかし、これは心が健康でなければできないことだと私は思います。

よろしければ、当事業所ホームページをご覧くださいませ。もし引き続きお話したいことがありましたら聴かせていただければ幸いです。秘密厳守で対応致しますので、安心してご相談ください。お問い合わせいただけましたら、初回は30分無料で対応いたします。
 
アトリエ♡kokoro 佐藤まゆ
https://atelier-kokoro1022.jimdofree.com/

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2023年3月10日 12時25分


お礼コメント

回答ありがとうございます。適応障害等になっているのではないかとご心配ですが、現状としてかなり精神的に元気になっておりますので、大丈夫かと思います。ありがとうございます。小さい頃から極度に落ち込んでしまうことはありましたが今回まで酷いケースはありませんでしたのでもしかすると本当に病気になっていたのかも知れません。今後ないことを祈りますが、また同じような症状が出た場合は御社のカウンセリングや病院に行こうと思います。ありがとうございます。

2023年3月10日 20時31分

カウンセリングルーム・エンパシー

ご相談内容を拝読しました。
死にたくて生まれた人はいないはずです。

そして、生まれたからには死ぬのはあたりまえの事です。
自分で死ぬ日を早めたり、決めたりしてはいけません。

あなたの本能は生きたいのですが、理性が自分の命を消したくしているのです。
生きる気力を失うのは失望や絶望です。

未来が闇に包まれ絶望しか感じなければ、未来を生きる動機がなくなります。
絶望感が強くなると、現実から逃げることに意識が集中します。

本当なら生きていたいのが、あなたの本心です。
幸せを求める気持ちが強くなるほど、本音が聞こえなくなります。

あなたが死にたいと思う今日は、昨日亡くなった人が生きたかった明日だったも知れません。
昨日死にたかったあなたが今日も生きたことは、同じように死にたいと思っている人の希望になっています。

逃げたままは良くないですが、一時的な逃げは悪いことではありません。
「死にたい」と思うことが、あなたのストレス解消法にしてはいかがでしょう。

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2023年3月10日 11時22分


お礼コメント

回答ありがとうございます。昨日死にたかった自分が今日生きていることが同じように死にたいと思っている人の希望になるとのこと、「死にたいと思うことをストレス解消法にする」こと、自分には全くない発想で目から鱗でした。ありがとうございます。

2023年3月10日 20時26分

氷見Hiroのさわやか相談室

こんにちは。

私は、生まれ育ちに コンプレックスが、幾重にもありました。
それでも、友人、仕事や結婚までも不運で、細い細い道を歩き、へとへとになり
生きるのが、とっても辛くなり、60代後半に自死未遂をし、やっとやっと仏教に出遇えました。

それで、大きな御力に遇えて、生き残ることができました。
急に活力をいただき、今に至っています。
毎朝、「今日をありがとう」と生きています。

自死しないでください。救われる道は必ずあります。

返答にならないかもしれませんが、参考にしてください。

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2023年3月10日 10時46分


お礼コメント

回答ありがとうございます。仏教から救われることもあるのですね、、見ず知らずの自分に自死しないでくださいとおっしゃって頂けて有難いです。参考にさせていただきます。

2023年3月10日 20時12分

憂うつの癒し屋

初めまして、心理カウンセラーのヨナガ マサアキと申します。
そうですね・・・・・・・・・・
期限になったら~~~する、ということですよね。
私は現在60歳、21歳のときにうつ病を発症し、4年間を除いて現在進行系で通院しています。
そんな私が言えるのは、その間際になって「もう少しだけ」と思うものだということです。
コントロールできるのは、今この瞬間しかありません。
そこに心を尽くせばちょっと後の未来に光が見えてくると思います。

ただこのケースには、幼児期体験の禁止令がベースになっているものが多いと思われます。
*禁止令とは、親から、物心がまだつかない(幼児期)に、無言でわたされる子供の態度行動に関する、親の感情的な不合理な命令をいいます。
つまり子供の行動に対して、否定的なしかめっ面や、攻撃的視線など、逆に親の喜ぶ顔や微笑など、親の無意識な本音を子供がうけとって(幼児決断)、
自分にブレーキをかけることを禁止令といいます。
これは物凄く強烈で、ほぼ強制執行的圧力で、
無意識のところからその人間をコントロールします。
ですから、トラウマと同じ働きをする、と言えるのです。
*幼児期決断~衣食住を握られている幼児が、苦肉の策として自分に言い聞かせる決断
禁止令は概ね以下の8つに分けられます。
詳細につきましては、下記URLを参考にしてください。
参考URL
 http://sinrigaku.com/?page_id=85
#1:「何々するな」
#2:「存在するな」
#3:「重要であるな」
#4:「子供であるな」
#5:「成長するな」
#6:「男の子、女の子であるな」
#7:「正気であるな」「健康であるな」
#8:「所属するな」
幼児決断がトラウマと同じ働きをするものだとしたら、トラウマの療法が有効だと考えられます。



%ひとりでも出来るトラウマ治療法
*曝露(ばくろ)療法
@今の自分の感情を感じることにより行う曝露療法
自分一人になる状況をつくり、そこに座る
→次に、心を静めて「心の中で自分は今、何を感じているのだろうか?どんな感情を感じているのだろうか?」ということを自問して、自分の心を調べてみる
→すると、自分が今どんな感情を感じているのか、心の中に抱いているのかが、よりハッキリと自覚できるようになる。
→その感情を感じ続ける
→感情を感じ続けていると、しだいに心が楽になってくる
(この曝露療法をしていると、トラウマの記憶が思い浮かんでくることがあります)
普段の生活でネガティブな感情(または、トラウマの記憶、ストレスなど)に襲われた時は、心を静めて「自分は今、心の中で何を感じているのだろうか?どんな感情を感じているのだろうか?」ということを調べ、その感情をあるがまま(否定も肯定もしない)に受け入れれば、心を癒すことができます。
曝露(ばくろ)療法―補足情報―
@「曝露療法を行う時間」
自分のできる範囲の時間で行うことができれば結構です。また、心がすっきりしたなと感じたら、そこで終わって構いません。
@「曝露療法を行う日数」
実践したとしても、なかには効果をなかなか体感することが出来ない方もいらっしゃるかもしれません。しかし、曝露療法を継続して行っていれば、その効果を体感することができます。最低7日間は継続して行うことをお勧めします。
@曝露療法を行う人のなかには、曝露療法をやり始めたばかりの頃に、一時的に症状が悪化する人もいます。けれども、曝露療法によって取り返しのつかないことになることはありません。諦めずに曝露療法を継続して行なっていれば症状を改善させることが出来ます。

特にEMDR:眼球運動による脱感作と再処理法)は、PTSD(心的外傷後ストレス障害:トラウマ)に対して、エビデンス(根拠)のある心理療法です。
EMDRを取り入れている病院やトレーニングを受けたカウンセラー が行います。
また、Youtubeで「バタフライハグ」や
「トラウマに対応しているタッピング」を実行し、
「ヒーリング(癒やしの音楽)」を検索して、聞いてみて下さい。
トラウマの仕組みについては、文字数の関係もありますので、
下記URLを参考にしてください。
参考URL
 http://sinrigaku.com/?page_id=85
一人でできる、アンカーつぶしなどが他にあります。


何か分からないことがありましたら、
私のHP(下記参照)の最下部のコメント欄に投稿してください。
http://sinrigaku.com
また、上記HPの下部には、
メンタルヘルスの情報や心理学&名言集がたくさんありますので、参考にしてください。
また癒やしの写真集もたくさんありまので、鑑賞してみて下さい。

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2023年3月10日 09時06分